モンコック。
ここは、バーも無ければ取り立てて何にもない。
中国本土へ行く列車の起点。
ただ、ローカルな雰囲気や、落ち着いた街並みが結構いい場所。
中国語の先生が、この街に住んでいるというので行ってみた。
彼女は、中国本土から一人で香港に来て、大学で学んだ。
その後、香港で就職しようとして、まずは保険会社に入った。
1か月の研修を楽しく過ごし、いよいよ仕事開始。営業部に配属された。
最初に与えられた仕事は、地元に帰って保険商品を売り込むことだった。
地元の同胞を売らなければならない仕事に嫌気がさして、すぐに会社を辞め、中国語教師になった。
今、25歳。
彼女が大学で在籍していたのは英語学科。
英語が話せるだけで取り立てて専門性はない。
広東語もしゃべれない。
そういう彼女が就職できる職場は限られていた。
結局のところ香港は広東語社会。
普通に就職して、普通に働くためには広東語が使えなければお話にならない厳しい現実。
彼女が住んでいるのは、どこにでもあるような香港の高層アパートメントの一室。
ここに中国人の女の子2人と合計3人で共同生活している。
中国語の先生としてもらえる給料は月額10000HKD程度。
家賃は10000HKDを3人で分けて3000HKDくらい。
これに水道光熱費、電気代とケータイ代の1000HKDくらいが固定費としてかかる。
食費はひと月2000HKD。
交通費が1000HKD(会社との往復代込)。
残り3000HKDで服を買ったり、おしゃれしたり、遊んだりしなければならない。
貧乏学生のような生活。
もちろん中国本土で働くよりはずっと多い収入だけど、
香港で生きてくには、生活でいっぱいいっぱいで、とても貯金なんてできない生活。
部屋の入り口は、鉄格子がはめられていた。
女の子ばかりだからセキュリティを大切にしたとのこと。
中は、1ベットルーム。全部で10畳に満たない。
ベットルームは4畳半で、そこに二段ベットを置いて二人が使っている。
リビングにあるもう一つのベットが三人目の居場所。
小さなシャワートイレルームと、キッチンが他にある。
リビングにはぎりぎりテーブルが置かれているけど、
部屋には収納もなくて、女の子らしい大きなクローゼットが入れられているので、
空いているスペースはほとんどない。
部屋はものであふれかえっていて、足の置場もないような状態だった。
確かに寝て、シャワーを浴びて、ご飯を作って、生きていくことはできるけど、安らげるような場所ではなかった。
プライベートなスペースなんて全くない。
これは香港で自律して生活している若者のもっとも低いレベルの生活だ。
もっとも、香港人の若者もあと数千HKD収入が多いくらいで、大きく変わらない。
たいてい自分で生活しようとしたら、ルームシェアを余儀なくされる。
長く続ける意味のある生活とは思えなかった。
だけど、
「私の地元には海がないから、海が近くにある香港が好き」と彼女は言っていた。
生活してはいける。
そこで友達もできる。
だけど、都会を楽しむためにはやっぱりお金が必要だ。
もっているお金の量によって、都会は優しくなるし、冷たくもなる。
彼女のような中国人の女の子が、この生活を脱却して、豊かな都市ライフを送れるようになることはまずないだろう。
そこには、何も階段がない。
キャリアアップとかいうレベルから遠く離れてしまっている現実がそこにある。
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