四日目の朝は土楼で迎える。まだ、朝靄の中にある土楼。
早朝はさすがにまだ誰も起きてない。観光客もいない。僕だけの時間だぜ。
静かな土楼は、昼間の喧騒を知っているだけに、逆に違和感があって、少しドキドキした。
観光客がいないと、同じ場所のはずなのに、そこは全く違う表情を見せてくれる。
それは、ずっと昔からきっと変わっていない、その場所本来の姿。
広い。ずっと。広い。
この時間の主役は、鶏たち。
土楼の前で観光客を乗せてる白馬も、今出勤中。この馬、僕も乗りました。10元。
朝は簡単な八百屋まで出てるんだ。
お肉屋も。こういうのは観光地化しても変わらないんだね。
ここ、永定土楼民族文化村を歩いたことが無かったのを思い出す。
朝、涼しい今、少し散歩してみることにした。
奥に行くと、思ったよりもずっといい雰囲気の村だった。
昨日の夕方、ものすごい大勢の大合唱を聞いて、この子達が水たまりの中にいることを知った。
この見事な建物は福裕楼。1880年建設。総面積7000㎡。永定県最大の府第式方楼。主楼は5層構造。部屋は168室。
びっくりしたことに、ほとんど見かけなかった欧米人がたくさんいて、中のテーブルで朝食を摂っていた。
中国人のスタッフは英語をしゃべり、欧米人が食っているのはトーストにベーコン、エッグ、典型的なブレックファスト。
なんだかなー。きっとロンリープラネットとかに載ってるんだろうね。
逆にこの如升楼は永定県で最少らしい。直径17m。部屋数16。1901年、林高林という人が自分で3年をかけて作ったらしい。
この建物のなかでは、そらも狭い。
橋にはなんか干してある。タケノコの皮?
学校もある。
中国、世界。ここの小学生も、世界を見ながら育っている。台湾はしっかり国土の一部に入っている。
ここはケイジュ楼。1834年建立。宮殿式方楼を代表する建物らしい。総面積6000㎡。
遠くから眺める方楼は、確かに城か宮殿のよう。
見晴らしのいい、小高い丘があった。こうやって見ると、この場所には土楼があるけど、
それ以外は大自然に囲まれた田舎なんだということを知る。
はじめここに到着したときはテーマパークかと思った。
けど、そこはやっぱり昔から人が暮らしてきた場所で、
人の暮らしの匂いがそこかしこにあった。
そこに暮らしていた人たちがいる。
その住まいが貴重ということで、その村ごとごっそり柵に覆われて見世物にされる。
見世物にされた側はどういう気持ちだろうか。いい迷惑だろうか。それともお金が入ってうれしいだろうか。
土楼は二階以上が一般客立ち入り禁止とされているところが多い。
それなのに、早朝の誰もいない時間に、こっそり上ってくる旅行客がいて、外からカメラを部屋の中に向けてくる。
僕はほんの1日、2日しか土楼に滞在していない。それでも、部屋の中を他の旅行客に覗き込まれていい気分はしなかった。
こういう気持ちも、慣れてしまうものだろうか。
旅をして、どこかにいくと、その土地の人の生活が気になり、ついついずけずけと立ち入って、覗き込んでしまう。
まるで動物園の檻の中を見ている気分。
そこいいる人たちが人間であることをどうしてか忘れてしまっている。
そして、その生活を偉そうに評価しようとする。
そういう人を見たり、気づいたら自分がそうなっていたりすると、とても居心地の悪い気分になる。
旅人はどこにいってもお客さんでしかない。たいていは無礼な客ばかり。
それが僕が旅することについて、一番嫌いなことだ。
一泊して、ここを出ることに決めた。
バックパックを背負って、土楼を出る。
すると、向こうから、旅行客を笑顔で連れている、制服姿の宿のお姉さんが歩いてくるのを見つけた。
お姉さんは今日も元気にガイドさんとして働いている。
活き活きとこの土地のことを説明している。
すれ違う時、僕のことに気づいて、「もういくんだね」と声をかけてくれた。
屈託の無い笑顔を見ただけで、僕は何となく幸せな気分になった。
彼女は、ここで毎日こうして生きているんだね。
僕は他の場所へ行ってみよう。