福建 土楼への旅 13 土楼王を目指す 

どこか別の土楼にも泊まってみたい。
目的地として選んだのは、洪坑村から5kmほど離れたところにある土楼王と呼ばれている土楼だ。
土楼の王様がいるならそれを見ずして土楼は語れないでしょう。

出口のバス停留所では一時間に一本くらいローカルな高北村行きのバスが通る。
バイタクでもいけるけど、別に急ぐ旅でもない。
バス停留所の手前の地べたにバックパックを放り投げ、その上に座って、その辺で暇している村の人たちと話したり、
中国語の勉強をしたりしながら待つ。
お目当ての小さな緑色のバスは、止まる気配すら見せずにバスの停留所を通り過ぎていこうとする。
僕が高北村に行きたいことを周りの人たちに伝えていたので、彼らが止めてくれる。
でないと、サラリと乗り過ごしてまた一時間待ちになるところだった。
高北村へは3元。5kmくらいしか離れていないので、10分も乗っていれば着いてしまった。
このバスはローカルな人たち向けのバス。
普通に乗って、景色を眺めていたら、お目当ての土楼王の前を通り過ぎ、村の中に入っていった。
え、チケット必要なんじゃないの?
そんな、不安な目線を金回収担当のおばちゃんに向けていると、
おばちゃん「あ、間違えちゃった!ここからチケット売り場まで戻って!」
と、土楼王を通りすぎたすぐ先でおろされる。
ここ、高北村も土楼王のおかげで、立派なテーマパークに変貌している場所のひとつ。
高北土楼群景区と呼ばれており、入るには50元。900円くらいが必要。
しかし、降ろされたのはいわばテーマパークのど真ん中。
ディズニーランドでいったらシンデレラ城があるすぐ横あたり。
あっとう間に目的地到着。

僕は10キロ近くあるバックパックを背負っているんです。
ここから、チケットを売ってる観光客向けのエントランスに戻るには数百メートル歩かなきゃいけない。
なんとか、先にこの土楼王にチェックインできないか。
僕は隙のある入り口を探して土楼の周りを調査した。
さすがにそこは、堅牢な土楼。
大きな楼に数箇所しかない入り口は、暇な地元のおっさんたちで結成された警備員によって固められ、
チケットを持っていなければ全くいれてもらえない。
「ここに泊まりたいんですよ。僕は。チェックインだけでも先にさせてください。チケットはあとで買ってくるから」
必死で訴えかけても、聞く耳持たずだし、僕の中国語は拙いし、そもそも観光客に全然優しくない!
ここがメインの場所なら、ここでチケット売ってくれ。ってか、こんなところに降ろすな!
無謀な努力の甲斐なく、鉄壁の守りである土楼王を強行突破することは不可能であった。
それをしらしめたくて、バスは僕をここに降ろしたのかもしれない。
僕は、汗をかきまくりながら、悔しさを噛み締めながら、入り口へ戻る。
逆行して、チケット売り場に戻ることのアホらしさ。

大変な回り道をして、チケットを握り締めて、土楼王に戻る。
今度は、チケットのおかげで中にいえてもらえた!
なんか、ゲームのなかで馬鹿みたいに無駄足させられる勇者になった気分だ。
さあ、この巨大な土楼。土楼王は果たして僕を泊めてくれるのだろうか。
ぐるりと壁の内側に沿って回る。

はい。広告が出てますね。
この区画の主人らしき人に話すとすぐに部屋を案内してくれた。
いくつか見たけど、お願いして最上階の部屋を使わせてもらうことにした。
これが僕の寝床。交渉して1泊80元。

部屋の中から外を眺める。

明らかに、昨日の土楼より古めかしく、埃くさい。
隣には、裸の大将みたいな、タンクトップにパンツ一丁のおっちゃんがいびきをかいて寝ている。
もう、毎日ここで寝て起きて、っていう怠惰な生活をしているだけなのが伝わってくる。

ここからの眺めは最高だ。さすが土楼王と言われるだけあって、とりわけ大きく、中は幾重にも円楼が張り巡らされている。
むしろこんなにでかいのに、ギュウギュウづめで窮屈な印象。

景色を見てると、横の大将が起きて外廊下へ出てきて、腰の高さの戸棚に向かっておもむろにしょんべんをしだす。
どうりでしょんべん臭いと思った。
木の床もおっちゃんのこぼしたしょんべんで水染みができてる。
大将が部屋に戻ったあと、こっそり見てみた。

戸棚の中にこんな壷があってそこに用を足す仕組みになってるらしい。どんだけずぼらなんだよ。
ってか、この壷にたまったしょんべんは誰が片付けるんだろう?
しょんべん臭くて、ホコリ臭い土楼に泊まるのは、決して素敵な経験ではない。
これが現実。
優雅に部屋での滞在を楽しむことなんて、できないから、荷物を置いたらさっさと下におりて観光しよう。
土楼王中央の祖堂はこんな感じ。

土楼の中、1階はいろんな店になっている。でもだいたい茶ばかり売っている。


僕が泊まることになった土楼王、名を承啓楼という。
面積5376㎡。高さ16.4m、直径73m、外壁円周229m。
1709年に江集成によって着工される。
最も外側の主楼は4階建て、各階72部屋。そこから内側へ2番目の円楼は2階建て、各階40部屋。
3番目の円楼は平屋建て32部屋、4番目は屋根付き通路。
合計400部屋にもなっており多いときは600人以上が暮らしていたそうだ。
だいたい主楼の1階が台所、2階が倉庫、3、4階が居間、寝室になっている。


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