福建 土楼への旅 15 高北村を発つ

高北村に朝が来る。

まだ薄っすらと朝もやの中の土楼王。

土楼王の中楼。すばらしいシンメトリー。

昼は観光客でいっぱいの入り口は、特設肉屋になっていた。

朝の土楼王。

朝は野菜も売られている。

写真は綺麗なところばかりを写している。
汚いものを写して紹介しようという人はあまりいない。
旅行会社が紹介する、旅先の美しい風景。
パンフレットで見たその景色ほどには、現実は綺麗なところばかりとは限らない。
なぜなら、僕らが目指しているのは、誰かが住んでいるリアルな世界だから。
中国。そこは、汚い場所だ。
なぜか、それはそこに住む人たちが町自体、自然自体を全く大切にしないから。
これは教育の違いとか、文明の発達度、洗練度の違いとかのせいじゃない。
文化の違い。
日本は、ずっと昔から自然も町も、自分の周りを取り囲む世界全てを大切にして綺麗に保ってきた。
中国人は、自分の所有物以外を慈しんだり、大切にしたりする感情が元来無い、とみた。
それが観光資源、ひいては自分たちの金に直結する共有財産だとしても、平気で汚す。

そこに住む人たちが平気で窓から外にものを捨てる光景、川にごみを放り投げる光景を何度も見た。
旅行者ではなく、そこに住んでいる人たちがだ。
僕たち、日本人にはこの感覚はまず理解できない。常軌を逸した行為に見える。

中国っていう国は別に最近になって公害で汚れたわけではなくて、昔から汚いところだったんだろう。
それでも、みんな気にしないからいいのだ。
ごみを捨てっ放しでいいのは、とても気楽でいいね。

土楼に戻って、昨晩夕食を食べた簡易食堂というか、小部屋に行く。
しばらくすると、日本語を勉強しているここの娘さんが来てくれて、朝食を用意してくれる。

10元(約180円)の麺は決して美味しいとはいない。薬味を入れまくるために敢えて薄味にしているのだと信じる。

ご飯を食べて、身仕度を整える。
もう決めてた。
僕は帰る。香港へ。
土楼や、その周りの自然、中国の田舎はそれなりに面白かったし、美しかったし、そこそこ感動もした。
けど、もう飽きた。
ここは、長居したくなるような場所ではない。
ただの何にも無い田舎であり、そこに土楼がたくさんあるだけ。
そして、土楼も2個、3個見れば飽きてしまう。
もうこれ以上、べつの土楼を見たいという気持ちは無い。
二箇所の土楼に宿泊することもできたし、目的は達成された。
少し早いけど、さっさと帰ろう。

この高北村にも、駅というにはおこがましいバス停がある。
土楼王から5分くらい奥に歩いたところ。
何時間に一本か、龍岩行きのバスも発着している。
土老王の亭主が、時間は教えてくれた。

おんぼろバスに揺られて2時間。21元(約300円)
バスの窓を空けて景色を見ていると、隣に座っていた若者に閉めろと怒られた。
見ると、まだ20歳にもなっていない青年の隣には、せいぜい高校生くらいの可愛いお母さんに抱かれた赤ちゃんが、
冷えピタみたいなのを額につけながら赤い顔をしている。
病院に行くにしても、この田舎町では1時間以上バスに乗らなきゃいけないのだ。
まだ、僕なんかより、ずっとずっと若いのに、守るべき家族がいるんだな。この青年には。
僕はただ、ただ感銘を受けた。
そして、黙って窓を閉めた。


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